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環境再生農業における水浸透・保水能力向上メカニズムと評価手法

Tags: 環境再生農業, 水資源管理, 土壌物理性, 水浸透, 保水能力, 評価手法

導入:水循環機能回復における環境再生農業の重要性

気候変動の影響により、世界各地で干ばつや洪水といった極端な水文事象が増加傾向にあります。このような状況下において、農業生態系における健全な水循環機能の回復は、持続可能な農業生産のみならず、地域全体の水資源管理や災害リスク軽減の観点からも極めて重要視されています。環境再生農業は、土壌の物理性、化学性、生物性を総合的に改善することで、土壌の水浸透および保水能力を高める効果が期待されており、そのメカニズムと効果的な評価手法の理解は、農業生態学の研究者にとって喫緊の課題となっています。本稿では、環境再生農業が土壌の水浸透・保水能力に与える影響のメカニズムと、その効果を定量的に評価するための主な手法について概説します。

環境再生農業が水浸透・保水能力に与えるメカニズム

環境再生農業で実践される主要な農法、例えば不耕起栽培、被覆作物の導入、多様な輪作体系、有機物の投入(堆肥など)は、複合的に土壌の物理性を改善し、水浸透・保水能力の向上に寄与します。

土壌団粒構造の発達と安定化

最も重要なメカニズムの一つは、土壌団粒構造の発達と安定化です。不耕起や有機物投入、根系の発達により、土壌粒子が微生物の分泌物や菌糸によって結合され、安定した団粒が形成されます。この団粒間に存在する大きな孔隙(マクロポア)は、水の迅速な浸透経路となり、地表水の滞留や流出を抑制します。また、団粒内の微細な孔隙(ミクロポア)は、植物が利用可能な水分を保持する能力を高めます。安定した団粒構造は、降雨や機械的な圧力による団粒の破壊を防ぎ、孔隙構造を持続的に維持します。

土壌有機物含量の増加

環境再生農業は、不耕起による有機物分解の抑制や、被覆作物、有機物資材の投入を通じて、土壌中の有機物含量を増加させます。土壌有機物は、土壌粒子の接着剤として団粒形成を促進するだけでなく、自らも高い保水性を持つため、土壌全体の保水能力を向上させます。

根系の発達と土壌孔隙の形成

被覆作物や多様な輪作により、様々な深さまで根が発達します。根が土壌中を伸長する際に物理的に孔隙を形成し、また根の枯死後に残る根跡は水の浸透経路となります。さらに、根圏では微生物活動が活発になり、これも団粒形成を促進します。

土壌微生物群集の活動

健全な土壌微生物群集は、有機物の分解・腐植化、団粒形成に関わる多糖類や菌糸の生成を通じて、土壌構造の改善に貢献します。特にアーバスキュラー菌根菌(AMF)の菌糸ネットワークは、団粒を物理的に結合し、土壌構造の安定化に重要な役割を果たします。

これらのメカニズムが相互作用することで、環境再生農業を実践した農地では、慣行農法と比較して水浸透速度の増加、有効土壌水分の保持量増加といった効果が観察されることが多くの研究で報告されています。

効果を評価するための主な手法

環境再生農業による水浸透・保水能力向上の効果を定量的に評価するためには、様々な手法が用いられます。

現場における水浸透速度の測定

最も直接的な評価手法の一つは、現場での水浸透速度の測定です。シングルリングやダブルリングインフィルトロメーターを用いた定水位または変水位法が一般的です。これらの手法により、特定の時間内または特定の水位低下にかかる時間を測定し、土壌の水浸透能力を評価します。より高度な手法としては、ミニディスクインフィルトロメーターを用いた不飽和浸透速度の測定などがあります。

土壌水分のモニタリング

土壌水分センサー(例:TDR/FDRセンサー、誘電率センサー)を異なる深さに設置し、連続的に土壌水分変動をモニタリングすることで、降雨後の水分の浸透挙動や乾燥過程における水分保持能力の違いを把握することができます。

土壌物理性の評価

土壌サンプルを採取し、室内で物理性を評価することも重要です。 * 容積密度(Bulk Density): 土壌の固さを表し、低いほど孔隙が多いことを示します。高い容積密度は水浸透を阻害します。 * 孔隙率(Porosity): 土壌中の孔隙が土壌体積に占める割合です。総孔隙率、マクロポア率、ミクロポア率などを測定します。 * 土壌水分特性曲線(Soil Water Retention Curve / pF曲線): 様々な吸引圧(またはpF値)における土壌水分含有量を測定し、土壌がどれだけ水分を保持できるか、また植物が利用可能な水分量を評価します。 * 団粒安定度(Aggregate Stability): 水中での団粒の崩壊に対する抵抗性を評価します。湿潤振とう法などが用いられます。

リモートセンシングおよび地理情報システム(GIS)の活用

広範囲の農地における水文応答を評価するために、リモートセンシング技術(例:衛星画像、ドローン画像)やGISが活用され始めています。地表面温度や植生指数(NDVIなど)のデータから土壌水分の状態を推定したり、地形データと組み合わせて水の流れを分析したりすることが可能です。

モデルを用いたシミュレーション

土壌水文モデル(例:SWAT, HYDRUS)を用いて、測定データや土壌・気象データに基づき、様々なシナリオにおける水浸透、排水、蒸発散、水分保持量などをシミュレーションすることで、環境再生農業の効果を予測・評価する研究も進んでいます。

これらの手法を組み合わせることで、環境再生農業が土壌の水浸透・保水能力に与える効果を多角的に、かつ定量的に評価することが可能となります。

最新の研究動向と課題

環境再生農業による水浸透・保水能力向上に関する最新の研究では、長期的な効果の検証や、異なる気候条件、土壌タイプ、農法組み合わせにおける効果の差異に焦点が当てられています。また、土壌微生物群集の多様性や機能と土壌物理性、特に水透過性との関係性を詳細に解析する研究や、分子生物学的手法と土壌物理性測定を組み合わせたアプローチも進んでいます。

評価手法の課題としては、現場での測定の労力やコスト、土壌の空間的・時間的変動性の高さ、異なる手法間の比較可能性の標準化などが挙げられます。また、これらの物理的効果が、農業生産性、栄養素循環、病害虫管理といった他の生態系機能とどのように連携し、全体的な農業システム機能の向上に寄与するのかを統合的に評価する研究も今後さらに重要となるでしょう。

結論と展望

環境再生農業は、土壌構造の改善、有機物増加、根系発達、微生物活動の促進を通じて、土壌の水浸透・保水能力を向上させる有効な手段であると考えられます。これらの効果を科学的に検証し、そのメカニズムを深く理解することは、環境再生農業のさらなる普及と最適化にとって不可欠です。今後は、精密農業技術やデータ科学と組み合わせた高度なモニタリング・評価システム、長期的な生態系機能評価の枠組み構築が、研究開発の主要な方向性となるでしょう。これらの研究成果が、持続可能な水資源管理と気候変動への適応に貢献することが期待されます。